猫の額ほどの話 

猫好きshinnriko(シンリー)です。昨年より乳がん治療中です。術前抗がん剤を経て手術療法、そして再手術。転居後、大学病院で放射線治療を終え、1年3ヶ月のハーセプチン+タキソール治療。最近(2014年初夏)転移と思われていた肺の一部切除しました。

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あけましておめでとうございます 2014年はる

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

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休業中のブログになってしまっています。
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垣根…こころのうち

開店休業中のブログです。
そろそろ再開したいなと思っていますが、なかなかブログを開く気持ちになれません。

気にしてくださっている方がおられるのも承知しています。
ですが、一度傷つくと、立ち上がりの遅いのは昔からです。

そんなこともあって、心のうちの一部を吐露しながら、少しずつ上向いていこうかなと思っています。
ですので、今現在の自分の病状を書くまではいきません。

辛気臭い文ですので、明るさレベルを上げたい方はここで読むのはストップです。


さて今回のことはコメント欄に不届きなコメントがあって閉じていると思われているかもしれませんが、実は少し違います。

私は柄に似合わず、傷つくのが人より早いのだと思います。
傷つきレベルのマックスが低すぎるせいで、自分自身を傷つけるような結果に陥ります。
ですので、しょうもないところで自他のひっかかりを作ります。
当然、そういったひっかかりは、人間関係で生まれます。
大人数の中で生まれてくる感情ではありません。
たった一対一の関係の中で、そのようなアンバランスを作ってしまうヘマを侵してしまうのです。
本当にバカみたいです。

人と人との間というのはどういうバランスをとっていったら良いものでしょうね。
私はある程度カーテン越しの関係が良いのだと思っています(それは私の感じ方です)。
人によって、厚手のカーテン、遮光カーテン、レースのカーテンを選んでいます。

それって、若い頃の友人関係ではとっても熱の冷めた考え方ですし情がないような関係です。
ですが若い時のような無鉄砲な行動は怖くてできなくなっているのが私くらいの年齢ではないでしょうか。

大人になってから友人を作るのはとても難しいことです。
「友人はゆっくり選べ」という言葉があります。
ベンジャミン・フランクリンの言葉ですね。
カーテン越しに外を見、カーテンを開ける、スリッパを履き、垣根を越えて…。
そういった順序がいるものだと思います。

私の順序を無視するような人が現れると、私の頭は不安と混乱と困惑…ぐちゃぐちゃ状態になります。

今回、そういう人が現れました。
ブログの中だけだったらまだ耐えられたのかもしれません。
実生活で関わりをもってこられました。
それは相手の方だけの責任ではありません。
少しだけ不用意に近づいた私の責任です。

私の垣根を知っている人だったら、そしてそれを尊重してくれる人だったら問題はありません。
ですが、彼女は自分のペースを重視しました。
いまだに彼女が何を目的にしていたのか、私には理解できません。
悪い人ではないのです。
それより、知的で勉強もよくされます、何事にも前向きな人です。

ですが、そういった前向きな行動が私には傲慢として映ってしまうようになりました。
何年か前にもそういう人がいました。
彼女と関わり合うことでとてもストレスに感じていました。
そして、我慢をして付き合っていました。
それが時期的に乳がんの悪化と関わりがあるのではないかと、根拠もなく思っています。
それは私の心の中でかってに作り出した虚像だということは判っています。
ですが、拭っても拭いきれない思いとして残りました。
それほどしんどいものでした。

今同じタイプの人とは関わりたくありません。
静かに関わりを断ちたかったのですが、彼女の積極性と我慢強さはそうさせてくれませんでした。
ブログを書かないということをもって、要するに、彼女に私の病状を知らせないということでもって、一つずつ絡まったロープを解いていこうと思ったわけです。

まことにめんどくさい性格の私です。
ここまで書いて、少し気が晴れてきましたか…。
そして、彼女に悪いなとも思っています。
彼女は私の垣根は見えていないはずですし、カーテン越しに覗いているとも思ってはいなかったはずです。

申し訳ないと思うので、この文も見てほしくはないと思っています。
ですが、もし、見ることがあったなら、見てしまったなら…。

人と人との関係はゆっくりゆっくり進み、少しずつ心解いていくような付き合い方をしたいと望んでいる者もいる。
言葉を発すれば刺さる言葉だってあるのだということ。
対等な関係であるべきだと思っている。
そのように感じている者もいるのだということ。

ですが、人の心は私の自由にはなりません。
これは自分の病気を治すより難しいものだと思っています。

しばらくこんな辛気臭い文になっているかもしれません。

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私の病歴 その1…耳下腺腫瘍

私の腫瘍は乳がんが始めてではありません。

もう20年ほど前になります(正確には19年前)。

当事、子供は小学校に通っていました。
ヤンチャではなかったのですが、いつも保健室のお世話になる子でした。

秋のある日のこと、その日も保健室の先生から電話がかかってきて、近くの外科の病院に連れて行きます。
との事でした。
病院に駆けつけると、オルガンの角で頭を打って3針ほど頭を縫う怪我を負っていました。

一応私も親ですので、心配しました。
待合室で待っている間、何気なく頬に手を当てると、小さなコリコリとしたシコリが指に触れました。
どうせ、吹き出物でもできたのだろう、と高をくくり、そのことを忘れてしまいました。
それよりわが子が心配です。
外科の診察室から保険の先生と出てきた息子は「オルガンに“おるガーン”って当たっちゃった」とバカな事を言っていました。

しばらくたって、息子の頭の傷が治る頃になっても頬のコリコリはなくなりませんでした。
それより、以前より大きくなっているような気がしました。
ちょうど左耳の耳たぶの前あたり。
固いシコリでした。
でも固まりは凸凹とした感じはありませんでした。

そろそろマズイなと思ったのが2センチばかりになった頃。
どのくらいで大きくなったかは、当事ブログや日記を付けていませんでしたので、正確には判らなくなりましたが、2ヶ月くらいだったのではないかと思います。

このまま大きくなったら、顔が歪んでしまいそうです。
ほおって置いて、もしガンだったらと思うと、ゾッとしました。

主人も心配してくれて、知り合いの医師に聞いてみてくれました。
大学病院で当事女性では珍しかった外科手術をしていた経験があり、現在はガンの検診医をしているということでした。

横浜で主人と共にお会いし、顔にできた腫瘍を見てもらいました。
腫瘍自体にゴツゴツした感触がないので、良性ではないかということでしたが、できた場所が問題だと言われました。
耳の前には三叉神経が走っており、神経を傷つけてしまうと、一生顔面麻痺になる可能性を言われました。

熟練した技術をもった外科医でないと対処できないということで、その女医さんの先輩の医師を紹介してくれました。

紹介された先輩医師も同じようなことを言っていました。
顔は簡単な手術ではないそうで、大学病院の形成外科を勧められました。
「教授よりも現在臨床の多い助教授の方が上手かもしれないよ」と冗談めかしながら、紹介状を書いてくれました。
数日後、助教授への紹介状を持って大学病院の形成外科を受診しました。

内部事情はよく判りませんが、お医者様同士の紹介というのは、疎かにできない患者と見なされるのでしょうか。
長らく待たされる大学病院でも何だかスムーズです。

検査の日取りが決められました。
乳がんの検査とだいたい同じような検査です。
初めての超音波診断とCT。
CTでは造影剤を注射するのに苦労し、帰ってからは頭痛はするし、二度と嫌だなと思ったものです。

極めつけは細胞診、針生検をします。
巨大な注射器状のものを見たときには恐ろしさを感じました。
頭や顔を押さえつけられて、針が頬に当たるのを感じると生きた心地がしませんでした。

現時点での腫瘍の大きさは3センチ、手術方法は顔の腫瘍部分を10センチ切除する。
ということでした。
なんて恐ろしいことを、サラリと言ってくれる先生です。

私のカルテには耳下腺腫瘍と書かれていました。

検査結果の日まで、「顔に10センチ」という言葉が何度も頭をよぎりました。

ジタバタしてもしょうがないと思ったある日、顔の腫瘍が何だか柔らかくなっているような気がしました。
検査結果の日、そのことを医師に告げると、首を傾げて、「一ヶ月様子を見ようか」と明るく言います。

その日から顔の腫瘍をさすりながら「小さくなーれ」と念じていました。
本当に日に日に小さくなってきました。

次の年の正月が開けた診察日には顔の大きな腫瘍はなくなり、頬はま平らになっていました。

主治医にそれとなく聞いてみました。
「腫瘍は何でなくなったのでしょうか」
主治医はまたもやサラリと答えます。
「出来た物は、無くなる事だってある、でしょ」

無から有、有から無
まるで禅問答のような答えです。

それっきり、通院することを求められませんでしたので、たぶんその腫瘍は良性だったのでしょう。
それでも面倒な手術になるに違いない腫瘍切除を回避できました。
4~5ヶ月の病院通いでした。

出来るものは無くなる

この言葉が今も耳に残っています。

乳がんだって、出来た物は無くなることだってあるでしょう。
希望を持ちながら、「小さくなあれ」「小さくなって無くなっちゃえ」と念じています。

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知命+α=いちおう誕生日

本日、shinnrikoの誕生日です。
アラフィフ年齢も半分以上すぎました。

「五十而知天命」、四聖(しせい)である孔子の論語の中の教えです。
ちなみに四聖とは「釈迦、キリスト、孔子、ソクラテス」。
古今東西において最高の教えを説かれた方々です。
その中でも孔子の言葉は人間の生き方を指し示し、その方法論を具体的に教えてくださっています。

日本語だと「五十にして天命を知る」という言葉。
ようするに、「天から与えられた使命を知る」という意味。
よくいう、あとはおまけの人生などという、命が50までという意味ではありません。

私は50にして、病気に向き合うことになりました。
たぶん、「肉体をおろそかにしないように摂生をして生きろ」というような捉え方をしています。

10代、20代は学校や就職、無我夢中で過ごしました。
30代は子育てに一生懸命でした。
40代は家計を助けるために仕事をしました。

そして50になって健康の軸が狂った自分の体を大切にしようというということなのでしょう。

長生きしたいものです。
子供や(まだいないけど)孫の行く末を見ていたいものです。

「七十而従心所欲不踰矩」
こういう生き方の境地まで生きたいものです。

どうせ、shinnrikoのことだから、心の赴くまま、魚釣りをして、気ままに老後を楽しむだけでしょう。
と言われるかもしれない。
だけど、無為、無意味と言われる中の幸福感を味わう、そういう年齢を生きる意味もあるのではないですか?

私の人生がいくつもの分岐の一方を選び続け、そして今があるとしたら、これからも生きるという枝分かれの片方を選び続けるこのも可能でしょう。
そう矩(のり)を越えずにね。

朝、母親から「誕生日おめでとう」のFAXが届きました。

私の名前の由来、もう何度も聞いています。
実は出生届けを出す際に、当時の人名漢字にあてはまらず、やむなく一字を代えて提出したということです。
その却下された名前で生きたら、どういう人生を歩んでいたのだろう。
もしかしたら、病気をしなかったかもしれないと、母親は思ったわけです。

でも違うよ。
私自身が無数の選択をして今があるのだよ、一字違っただけで人生は違うものにはならないよ。

長生きをするであろう母親、それより一日でも長く生きてあげたい。
そう思うのも知命ということなのかもしれません。

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ファイナル・ジャッジメントと私観

小さい時から、たぶん幼稚園くらいの時から、
人間はどこから来て、どこへ行くのか。
人間はどこから生まれるのか、死んだらどこへいくのか。
とても不思議でした。

中学生の時『歎異抄』を読みました。
親鸞聖人の「弥陀の本願」とは何であるか、質問された仏教好きの伯父を仰天させたこともあります。
このことは、また機会があったらゆっくり書くつもりでいます。

宗教を学ぼうとしない人であっても、「人間は死んだら何処へ行くのか」という疑問は絶対に心に去来するはずです。
よるすべもない物質の肉の塊でしかないのが人間であるなら、私の心は何処へ行ってしまうのでしょう。
空中に飛散するのでしょうか、そうではないはずです、私の心はずっと生き続けるはずです。

神仏がいると思えるからこそ、人間は善を選び、苦しみにも打ち勝ち、勇気ある一歩が踏み出せるのです。
神仏がいないと思う人は、悪い行いをしても、自虐的になっても、恐ろしい選択をしたとしても平気でしょう。

いつの日にか自分なりの確信を得ました。
人間には宗教は必要なのだということ。

神仏を敬うことのできる人となること、神仏を敬う人が世の中を作っていくこと、が必要なのです。

信仰者であるならば、見ておく必要があるということで、6月2日の初日に行ってきました、映画『ファイナル・ジャッジメント』。

ここでご紹介しようとYouTube画像を探しましたが、shinnrikoの趣味に合ったものがないので載せません。
危機感を持つのは正しいとしても、shinnrikoとしては美しい、綺麗なものが好きですネエ。

映画の内容は宗教を悪とする国が日本を占領するというもの、政治家を目指す若者が信仰の元に立ち上がり、世界中に人間の正しさとは何かを配信、日本を奪還?
最後は性急に終わりますので少し物足りなさを感じますが、言いたいことは判ります。

日本はいまだに憲法9条で守られていると思っている人たちがいることに愕然とします。
憲法の条文を書いた紙を出しても、武器で打ちこまれたら太刀打ちできませんよ。
他の国は助けてはくれません。唯一『ともだち作戦』のアメリカくらいでしょうか。
それも普天間の問題で揺らいでいます。

ヨーロッパの美しい国ではで社会主義の大統領が誕生しました。
隣国では自国民ですら粛清をする若い指導者が再びロケットを打ち上げるか核実験でもするでしょう。
もう一つの隣国では共産党内で権力闘争が始まっています。覇権を正義と思っている国です。時期の指導者はどういう人なのでしょう。

日本人は素晴らしい宗教観を持っています。
生まれてお宮参り、結婚式は神道かキリスト教で、死ぬときには仏教で、いい加減で曖昧といった見方もありますが、全ての宗教を認められる国は、なかなかありません。

日本は『弥陀の本願』の国になれるはずなのです。

これからも少しずつshinnrikoの芯たる心の部分について書いていくつもりです。
抹香臭いと感じる方はスルーしてください。
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