猫の額ほどの話 

猫好きshinnriko(シンリー)です。昨年より乳がん治療中です。術前抗がん剤を経て手術療法、そして再手術。転居後、大学病院で放射線治療を終え、1年3ヶ月のハーセプチン+タキソール治療。最近(2014年初夏)転移と思われていた肺の一部切除しました。

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長生きできたら姑の御蔭

美しい春の花に導かれる姑は善人です。
心のなかの曇りの少ない人です。

この姑が2月18日朝6時に狭心症でこの世を去りました。
あまりにも急なことゆえ、何をどう用意したらよいのか、手が震えました。

ちょうど、その訃報を聞いたとき(10時頃)、友人と会っていました。
友人のことも今度、このブログでお知らせすると思います。

宇都宮にいる息子のXAMPを東京までこさせ、車で650km徳島まで車を走らすことにしました。
主人の妹は主人だけでも飛行機で徳島まで来て欲しかったのでしょうけど、主人は空を飛ぶ乗り物は嫌いです。
死に目に会える状態でもありませんでしたので、猫のハピとラキも車に載せて出発することにしました。
(ハピとラキはtさんにお預けしようか随分悩みました。長い道のりですから)

姑は若い頃は裕福な漁師家庭に育った人です。
昔ですから、兄弟が多いと学校へは行かせてもらえない家が多い中、充分な教育を受けさせてもらい、クラブ活動もし、卒業後は幼稚園の先生をしていました。

その後、結婚した舅は家業の木工業をしながら、弟妹の面倒を見ている人でした。
何人も小姑がいる中にお嫁に行ったのです。
商売というのは浮き沈みの激しいものです。
お金の苦労をしてこなかった姑にとっては辛い毎日だったのかもしれません。

そのように、家族の間にたっての苦労とお金の苦労をした人は私に対してはとても寛容でした。
もちろん一緒に住んでいたら、価値観の違いもあるし、何かしら不都合も出たでしょう。辛い時間を過ごすことにもなったかもしれません。
遠く離れた距離はある程度お互いを優しくします。

私がA型でカリカリしているのに、B型の姑は鷹揚です。
そんな性格の違いが幸いしたのかもしれません。

私の乳がんが見つかった時から、大変心配してくれていたそうです。
毎日、お祈りを欠かさなかったということです。

お葬式も無事に済み、実家の京都に立寄ったとき、母親が姑からの手紙を渡してくれました。
そこには、

「代われるものなら・・・、そんな気がおこる、この頃です」

そんな言葉が書いてありました。ありがたいことです。
導きの霊よろしくお願いします
手紙は去年の暮れに出されたものでした。

そして、2月の18日の朝。
たぶん痛みもあまりなく、静かに息を引き取ったということです。
舅は、しばらくすれば起きてくるものだと、9時まで待っていたということですので、痛みでうめくこともなく、本当に静かだったのでしょう。

姑の天国の門は広く開いてくれていると信じています。
導きの霊よ、姑をしかるべき幸せの国に導いてください。

私がこの先長生きできることがあれば、姑の御蔭です。
今まで本当にありがとうございました。
 

shinnrikoがいけた小菊です  
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